140字では足りなかったね

Sexy Zoneと菊池風磨さんにはまりたてほやほやの感情

あなたたちがこんなにも

12/27に一報を聞いてから、抑えようと思ってもふいに涙が込み上げたりとか、どうしても終わりの瞬間を考えてしまって寂しさに泣いたりしていたし、何も面白いことは書けないけど、もうあと数時間しかないので短いけれど書き留めておきたいと思って書いています。

あなたたちがこんなにも愛しくてあなたが羽ばたいていくことがこんなにもさみしい。 あと数時間でカウントダウンコンサートが始まってしまう今になって振り返ったこの5日間はこの言葉に尽きると思う。 知った瞬間の喪失感はとてつもなかったけれど、FC動画での彼らの言葉はどれもとても暖かくて、マリウスのSexyZoneに対する感情や決定に至るまでの気持ち、4人のマリウスに対する優しさが伝わってきた。 寂しくて涙は止まらないのに、彼らの決定は受け入れる心持ちになっていた。

その直後に開設されたSexyZoneのインスタも、楽しかった。5人の姿が幸せそうなだけ切なかったけど、楽しかったことは嘘になんかならないと思った。 ドーム公演をマリウスがずっと見ていた写真を見た時は、2日目の東京ドームでDreamでオレンジ色に染まった奇跡みたいな光景を、彼らがずっと覚えていてくれたら、もうそれ以上に望むことはないと思う。

今私は12/26の時よりずっとSexyZoneが好きだし、来てほしくない1/1の朝を迎えても、きっともっと好きになっていると思う。 あなたが羽ばたいていくことがこんなにもさみしくてあなたたちがこんなにも愛しい。 さみしさは消えないけど、笑顔で5人にありがとうと、マリウスに行ってらっしゃいと言いたい。

SZ10TH感想 それでも宝石を買うのか?

「物質的なアクセスはなくなりますか?」

「おそらく、宝石のように贅沢品になるでしょう。他人と実際に握手をすることでさえ、特別なことになる。人と人が触れ合うような機会は、贅沢品です」

森博嗣すべてがFになるより引用)

 SZ10THを見ながら、私はこの文章を何度も思い出していました。

 これを1996年に書いたところに森博嗣の天才性があるんですが、まあそれは置いといてSZ10THの話をします。


昔のステージ

 何をいちばんに言いたいって昔のステージを映像のセットで再現し、どんどん過去に遡っていくあの一連の流れについてです。

 あれって現在のSexy Zoneが過去の再構築をしている場面だと思うんですよね。ある意味仮想現実チックな光景でもある。

 過去の公演の現場に入った人にとっては懐かしい思い出を味わうでしょうし、私のようにBlu-ray越しにコンサートを見た人にとっては、画面越しに見たあの光景を初めて生で見られた瞬間になる。受け手によってそれぞれのフィルタを重ねられる演出になっている。

 あとこれは推測ですが巣ごもりしている時にコンサートをリピートしていた人は多いと思うんですよね。

 もう覚えるほど見たあの曲を、あの瞬間を、今を生きるSexyZoneがパフォーマンスする。映像に映し出されたセットは過去なのに、SexyZoneは今、そこにいる。

 見尽くされた映像を越えようと殴りかかってくる演出だと思いました。痺れました。

 いちばん言いたいことを書いてしまったのであとは思い出したことを書きます。

オープニング映像

 おじいちゃんと孫のくだり、なんというか、周年ライブで、こんないろんなことあったよ!って言うのにも前置きを必要とする理屈っぽさ好き〜と思った。

 最初はおじいちゃんの語り、孫に聞かせる昔話として始まってるけど、秒数カウントあたりから視点が切り替わる。おじいちゃんから孫へのお話からコンサート会場にいる私たちに向けたメッセージになる。語りの切り替えが巧みだなと今思い返して改めて思いました。実際に見た時は自然すぎて気づかなかった。

RTT

新潟の昼公演でRTTのケンティのリフトがとても近かったんですが、鬼かっこよかった。間違った逆説の使い方をするくらいびっくりだった。 広がったズボンの裾が翻るたびに周りのティ担が死ぬ音が聞こえた気がした。たまたまだけどその時の同行者が全員ティ担だったし。

Slow jam/Mylife

 新潟夜はメンステとセンステの間の花道よりだったので、センステで踊っているときは基本後ろが見える感じなんだけど、菊池さんの背中が良すぎて、そこばっかり見ていた。背中がしっかりしている。好き。

 Slow jamで菊池さんが目の前に来た時、顔うちわをメッセージの方にひっくり返したら、その瞬間吹き出すのと微笑みの中間みたいな笑い方をしたので、あ、見たなと勝手に信じている。違うかもしれないけど信じるに値するだけのタイミングと目線だった。  メッセージうちわには「ふうま 好きに生きて」と書きました。

Mermaid

 Mポーズの風磨くんめちゃめちゃかわいかったすね。ほんとに。新潟昼で股間におにぎり詰めてた時は「どうして!?」と叫びそうになったけどそれもいい思い出です。自分でも信じがたいのですがぬいぐるみを股間に詰める自担にすごいテンション上がってしまった。

 その日の夜公演で、ケンティーが胸に、菊池が股間にぬいぐるみ詰めて振り返った時は倒れるかと思った。予想を超えていかれた。サイコー。

名脇役 

新潟昼、歌い上げる菊池さんを目の前で堪能した。切なさ満点の顔と声だった。

So Sick

 一本だけ不規則な動きをしている緑のレーザがあって、これが「不気味に光るネオンが手招いて笑ってた」なのかなと思っていた。

 フォロワさんから勝利くんのギターから出てるレーザだということを教えてもらいまして、その後の公演で見たら本当に勝利くんのギターから出ていて、計算され尽くしたレーザの中で、緑色の一本が勝利くんのストロークに合わせてふらふらふらふらしていて、不思議な気持ちになりました。

 勝利君に手招かれている。よかったです。

その他

 聡ちゃんが目の前で歌ってくれてギャッカワイッとなったのはCelebration!だと思うんだけど自信がない。RTTかもしれない。

 あと勝利くんがセンステで手をかざしたら謎の金属のメビウスの帯的な機構が降り注ぐのも大変好きだった。

エピローグ

 最初見た時「僕もSexyZoneみたいになれるかな?」を「僕もSexyZoneになれるかな?」と取り違えました。

 これに「自分らしくあればいいんだよ」と答えるのは遠回しの「なれない」では? と解釈し、

 嵐になりたかった。だけど今はSexyZoneになりたい と言ったという菊池さんぽい思想〜〜いや菊池さんが考えたのかわかんないけど〜〜と思って一人でテンションを上げていました。

 その後の公演で「僕もSexyZoneみたいになれるかな?」だとわかりました。違うじゃん。

 それでも「自分らしくあればいいんだよ」は「SexyZoneみたいになれるかな?」に答えてないように思う。もっと言うと「SexyZoneみたいにはなる必要はない」という遠回しの否定に聞こえる。

 憧れの、すごい『誰か』のようになろうとするの結構つらいことだと思うんですよね。誰かみたいになる必要はない、自分が自分でいればそれでいいとするのは彼ららしいメッセージだなと思いました。

 いやでもわかんない。同行との友人とも話して、"Yes,if you can be yourself."だった気がするけどニュアンスもわかんないしYesから入ってるから肯定かもしれない。英語に対して平次とジョディ先生の初対面の会話がよくわからんくらいの知識しかない……

総括

 シンプルに楽しかったです。Sexy Zoneがとても好きだなと2時間何度も思った。

 一番大きい変化はまたコンサートに行きたい、と思えたことです。

 感染症のもろもろがなかったとしても、時代が進んで技術的課題をクリアし、家でリアルタイムのコンサートを今よりずっと(現場よりも好条件なくらいの精度で)見られたらどうなるんだろう、私はそれでも現場に行くのだろうかと、この一年何度も考えていました。自分の価値観を時代に合わせて変えられるか? 効率重視で変えられたほうがよいのでは?という問いです。

 その時出せなかった結論が出たというか、SZ10THを見て「いや行くなこれは」となりました。

 ずっと未来は分からないけど、少なくとも今はまた行きたい。少なくとも来年コンサートがあるなら行きたい。あと今回行かないことを選択せざるを得なかった方や行けなかった方がみんな行けるようになっていてほしい。


 森博嗣をこんなにも愛しているのに、引用した文に賛同しない論調で終わってしまったので、人間のままならなさを感じています。大好きです森博嗣すべてがFになるは天才の小説です。

 まあもし宝石のように贅沢だとしても欲しいものは欲しいんですよね。以上です。

階段落ち5分後のハムレットはしんどい 映画版Endless SHOCK初見感想(ネタバレあり)

 映画版Endless SHOCK見ました。

 あらすじだけふわっと聞いて物語の詳細や結末知らずに行ったら、想像の500倍しんどくてびっくりするやら嬉しいやらで大変でした、という話です。見ながらも泣きましたがストーリー思い出しても泣いちゃうので、整理を兼ねて書いています。

 ネタバレをしているので未見の方は気をつけてください。

 

 推し以外のグループに詳しくないのに見に行こうと思った理由は、複数の友人が勧めてたのと、この前友人の推しふぉ〜ゆ〜を全員覚えたのと、shock舞台公演のチケットが取れそうにないからです。

 結構そういう人いるんじゃない?と思ってるんですが、単一グループを推していて、元々事務所に詳しいわけではないオタクは、推しグループ以外のジャニーズの伝統的なサムシングを知る機会があんまりない。shockとかドリボとか。TLの内容から察するによくやってる舞台なんだろうな〜なんか有名なんだろうな〜とは思う。階段落ちとフライングは聞いたけど見たことないよ。腹筋太鼓もきいたことあるよ。ドリボは風磨とマリウスが出てたらしいけど円盤化されてないよ。たぶん。

 こういうふやふやな人はこういう機会を逃すと一生shockのこと知らんだろうと、そう思って見ました。

 

 見た感想。

 予想の500倍しんどい。だけど私はしんどい話を愛しているので大好き。やったー

 shockしんどくないですか?この世のすべてを煮凝りにしたみたいなつらさがある。あらすじ聞いた時点では、劇団のみんながすれ違いながらも乗り越えて素晴らしいショーを目指してがんばる話なのかと思ってたんですよ。ぜんぜん違った。
 幕間の諍いのシーンから、タツヤの告白あたりまでずっと泣き続けて化粧がはげるとは思わなかった。

 

 階段落ちまでのシーンでコウイチとタツヤが徐々に追い詰められていくのが良かったですね。

 あの時の彼らにはこれ以上進む場所なんてどこにもなかった。オンの先には何があるのか希求したはずのコウイチも、コウイチを越えたかったはずのタツヤも限界を迎えて、コウイチは意思に反して階段を転がり落ち、結果的に命を落とす。

 素晴らしいショーを作り上げようと尽力したコウイチが自分の体を制御できずに転がり落ちた結果が「階段落ち」で、shockといえばこれというくらい有名なのは皮肉が効いている。
 階段落ち、なんとなく明るい文脈で行われる気がしていたんですが、これ絶対『放浪記』のでんぐり返しと混ざってますね……

 

 コウイチは彼の理解者が全然いないところで1つらさ。ショーを続けろと言い続けながら大怪我でShow must go onできてないところで2つらさ。ショーに生きてショーに殺されたけどショーを愛しているので本人はとても満足そうなのが切ない、5つらさ。
 まあでもコウイチは自分の人生にすごく満足している顔をして消えていった気がするので、なんとなく救われた気分にはなりました。よかったね。よくないよ。
 でも見てるこちらとしても、死者となって立つ最後のショーで「わかってるな、俺が消えてもショーを続けるんだ」って言い残す人は、もう何度繰り返してもああなるだろうなという諦念がある。あんたShow must go onに殺されたようなもんじゃないの? それでもShow must go onを掲げるの!? まあでもそれならそれで仕方ないよ。私がゴタゴタ言えることじゃないよ。泣くけど。

 

 タツヤはタツヤで限界を迎えるまでの過程が分かりやすい。コウイチとの諍いで決定的に壊れてしまった。「続けろ続けろって何を続けるんだよ」の慟哭はいや本当にそうだねという気持ちになる。何を続けるんだろうね。続けてどうすんだという話だよね。真剣にすり替えたのは彼の罪なんだけど、でもそうしなければどうしようもなかったんだろうな〜と思った。分かってしまったのでなおさらつらかった。

 あとなんてったって罪を背負ってこれから生きていかなきゃいけない。タツヤはどうなるんですかね。

 なんか物語の最後は結構明るく終わった気がするんですけど、あんまり印象が強くないんですよね。

 

 これは私の癖なんですが、登場人物が逃げ場をなくして葛藤したり苦しんだりする話が好きなので、そういう話を見た時に何度も背景を思い返して逃げ場がないことを確認してつらさをリフレインさせて味わうみたいなことをしてしまう。

 タツヤがリカに殺してくれって頼むあたりまでしんどつらい感情で悦ってたので、リカがコウイチにナイフを刺したあたりの光への転換に感情がついていけず、つらい感情のままshockという話が終わってしまいました。

 中盤は確かにつらくて大好きだったけど、そこが大テーマじゃないはずなんですよ。なんで無情感だけが強いんだろう? もっと最後のメッセージがスッと入ってきてもいい。

 なんでかなあとずっと考えていて気づいた。映画には幕間がないせいかもしれない。


 映画は3時間ぶっ続け。いきなり半年飛んだり1年2年飛んだりするから、あの時間飛んだタイミングで幕も変わっているはず。となると当然休憩が入ると思う。

 コウイチが階段落ちした時マジでびっくりして、いや階段落ちはするの知ってたけど大怪我してんの? どうなんの? 死んじゃうの? 治って戻ってくるの? 展開にびっくりするわ泣いてるわで忙しかったんですよ。


 舞台だったらトイレ行ったり涙拭いたりして落ち着くのかもしれない。でも映画は、階段落ちと地続きで、タツヤが一人で抱え続けた絶望と昔コウイチが望んだ舞台への感情を凝縮したハムレットを見せられる。

 シェイクスピアの夢の時点ではタツヤが何したか分かってないんですよ。コウイチを刺したのは完全なる事故なのか。刀は彼がすり替えたのか。何故絶望しているか、よく分からないんです。私が見逃しているかもしれないけど。

 階段落ちからのハムレット、からの一連の流れでしんどさに振り切れた気持ちを、ラストに向けて上げていくのが私はあんまりうまくいかなかった。階段落ち5分後のハムレットはしんどい。5分じゃないかもしれないけど体感的にはそのくらいだった。あと書いてて確証が持てなくなってきたけどもしかしたら直後じゃなかったかもしれない……いやでもわりとすぐ後にハムレットだった気がする。

 あとこれだけ書いといて舞台のshockに幕間休憩がなかったらどうしようね。それだと見た人みんな階段落ちの直後にシェイクスピアを味わっていることになるね。しんどくない?

 

 しんどいつらいと書き過ぎてしまいました。これshock知らない人が読んでこんな話なんだ! って思ったらどうしよう。しんどいのは本当だけどすごいシーンや楽しいシーンも沢山あったよ。フライングとか、車が飛んだりとか。

 だんだん自信がなくなって来ましたが、本当にしんどくて面白かったです。あまりのつらさにあらすじ説明しながら泣いたりして、響きっぷりが自分でも面白かった。

 中盤のつらさを味わいすぎて最終的なテーマを掴み損ねてしまったように思うのがやや口惜しいので、どこかでもう一回見たいですね。以上です。

菊池風磨の良さを言語化できるようになるまで 努力アレルギー発言に惚れ込んだ菊池担の話

 Sexy Zoneにはまって8ヶ月が経ちました。
 私がアイドル菊池風磨(以下敬称略)の良さを言語化できるようになるまでの、とても個人的な話をします。


1. そもそもなぜ Sexy Zoneを好きになったのか

 2019年1月末、2018年紅白の録画を友人A(同じく2018年紅白でセクゾにはまった)に70回近く見せられ、20回くらいで「あ、好きかも」と思いました。
 というのが私の認識ですが、友人Aにこの話をすると「もう一回見る! って何回も再生していたのはあなたでしょ」という認識齟齬が発生します。つまりわりと自発的に見ていたらしいのですが未だに自覚はない。

 何度も見ているうちに中島さんが完璧なタイミングで繰り出すウィンクに心惹かれるようになります。
友人Aと共にセクチャンを見たりして「中島さんと勝利くんと松島くんの見分けがつかない」「ケンティー本当にかっこいいな……」などと言ってました。セクチャンでそれぞれのキャラクタがわかり、5人とも好きになってようやく見分けがつくようになりました。

 しかし知れば知るほど我慢できなくなるのが人の性です。生で動いてる彼らが見てみたいという気持ちが沸いてきます。

 春のコンサートの申込〆切が近づいているのを知った私は

彼らに人生を狂わされたくなった

 というツイートを残してファンクラブに入会します。

 家族がジャニーズ好きだったものの私自身はアイドル文化とはあまり縁がなく、ファンクラブ入会は個人的には一大事だったため大げさな表現をしました。
 2019/2/5、コンサート〆切間際のことです。


2. STAGE鑑賞と言語化できない葛藤

 ファンクラブに入会してからは、先人のふまけんブログ記事を拝読したりSTAGEを見て号泣するなどのイベントがありました。STAGE鑑賞の際のツイートを引用します。

菊池風磨の良さを全然言語化できなくてもどかしい 中島健人は顔がいい 赤が似合う 青が似合う


菊池風磨めちゃめちゃ好きなんですが、全然言語化できてなくて、なんとか絞り出すとずるいところが好きなんですが、どこがずるいのかと言われたら困る

 今見返すと好きすぎて恥ずかしいんですが、私はこの時、アイドル菊池風磨の良さを明確に言語化できなくてすごくじたばたしていた。

 菊池風磨好きなんですよ。すごく好きなんです。でも何が好きなのかよくわからなかった。
 ケンティーはシンプルに顔がめちゃめちゃ好き。ウインクを完璧なタイミングで決めるところも好き。勝利くんは綺麗な顔と生真面目さとダンス中の真顔、松島くんは素直さと明るさとダンスのキレの良さとたまに見せる凄い宇宙が、マリウスくんは愛くるしさとかっこよさのギャップと垣間見える賢さが愛しい。

 じゃあ菊池さんは?

 ふまけん8/25エピソードも過去の反骨精神むきだしエピソードも好きだけど、そういうことではないんだよ〜! 私が、菊池風磨のあり方に感じてる良さを言語にして表明したいんだよ〜! でもできないんだ!! なぜ!! というくやしさがあった。
 STAGE鑑賞後、唯一絞り出したのがこちらです。

菊池風磨、コメントが短めで分かりやすくてはっきりしてるところが好きだなと思いました

 色々考えた挙句に無難な具体例に落ち着いているツイートですね。今見るとそりゃそうだけどお前もっと感情があるだろって感じです。


3. 「努力アレルギー」

 菊池風磨さん好きだな、何が好きなのか今ひとつよく分かってないけどと思いながら悶々と日々を過ごしていたんですが、転機が訪れます。
 ラジオ「QrZone」の19/2/18、菊池さんと勝利さんの担当回でした。

「Sexy Zoneのみなさんは努力とは何だと思いますか?今度英語の授業でスピーチをするので参考にさせていただきたいです」という質問に対し、二人はこう答えました。

勝利「難しい問題になるね。まあ鍛錬する……練習量とか……そういう……深いところで行くとどうなんですか?」
風磨「いやぼく努力アレルギーなんで努力したことないですね」
勝利「ふふ、そうかもね、そう言ってるよね(笑)」
風磨「そうなんです。努力アレルギーなんでぼくはだめですね」
勝利「いやしてるんだと思うけれど」
風磨「ぼくにとってはアレルギー要素です。英語頑張ってください」

 この瞬間なんですよ明確に菊池風磨に “落ちた”のは……

 まず「努力アレルギー……? 嘘だろ?」と思った。なぜなら私はセクチャンのスカッシュ回を見たばかりだったから。ふまけんの試合前に黙々と練習する菊池さんを思い出したから、努力したことないなんて嘘だろとすぐ思った。だってあなた見てすぐわかる負けず嫌いだし負けないためにめちゃめちゃ意地を張るし頑張るじゃん。

 では何故菊池風磨は自身を努力アレルギーだと評するのか?

 私は「自分を努力せずとも高い水準で何かをやれる人間でありたい、そういう人間に見せたい」んじゃないかと解釈しました。

 勝利さんも言っているように、努力していないわけでは絶対にない。多分菊池さん本人も自分が行なっている行為が一般的に努力にあたると理解している。でも彼は努力とはみなさず、「努力アレルギーだから努力したことない」と嘯く。彼にとっては当然の行為だからかもしれない。

 すべてひっくるめて「努力アレルギー」って称するの、めちゃめちゃひねくれている。ストライクど真ん中でした。ひねくれた人が好きなので。

 そしてこのやり取りでわかる菊池さんの賢さ。質問が「Sexy Zoneのみなさんにとって努力とはなんですか?」だから「努力アレルギーなんで努力したことないですね」で終わらせず、「ぼくにとってはアレルギー要素です」と言い換えて締めてるんだと思うんですよ。問われたことの本質をクリティカルに返している。

 私は菊池風磨の賢いところ、ひねくれたところと、ひねくれを貫き通せる強さが最高に好きなんだと自覚した瞬間でした。

 だから私は努力アレルギー出の菊池風磨担です。


4. そしてハムレット

 ハムレット東京千穐楽おめでとうございます。大阪での成功を祈っています。

 ハムレット、素晴らしかったです。そしてやっぱり、菊池さんはきちんと努力をされる人だなと思いました。左利きですって言わずに右手でフェンシングを取得してしまったエピソードを聞いた時も、実際に観劇して声の出し方や抑揚の効かせ方の巧さに感嘆した時も。努力してない訳はないんだよな〜と何度も噛みしめました。

 自らを努力アレルギーだと称していた菊池さん。今同じ質問をして、どう答えるのか聞いてみたい。

 ハムレットを経て変わったのか。アレルギー要素なのか、そうではなくなったのか?


5. まとめ

 Sexy Zoneにはまって、そして菊池担になって8ヶ月が経ちます。
 2/18に気付いたポイントはそのままに、新たな魅力をたくさん知りました。

 菊池風磨、多面的な人なんですよね。ものすごく慎重なのに隠しきれない破壊衝動を秘めていて、社交的だけどネガティブで客観性が高い、矛盾しそうで矛盾しないけど一元的ではない要素が「菊池風磨」の器の中にぎりぎり収まっている。

 見れば見るほど目が離せないし離したくない。

 アイドル菊池風磨の良さをできる限り拾い上げて、これからも言語にして表明していきたいですね。以上です。ありがとうございました。

中島健人の確信と勇気 『Mission』でTシャツを裂く彼は何を思うのか


 中島健人さんソロ曲『Mission』でTシャツを裂く演出に感情をぐしゃぐしゃにされた話です。

 初めて『Mission』を観たのはリぺ魂Blu-rayでした。
 曲の前半は輝かしい真っ白な衣装で踊るケンティー。黒髪に白が映えてめちゃくちゃきれい。目を奪われているうちに彼はジャケットを脱いで黒Tシャツになって花道進みながら観客を煽りに煽る。
 そして大サビ、中島健人は曲に合わせてTシャツを裂きます。Vネックの真ん中から。そしてそのまま袖を抜いて、なんかぼろきれみたいになったTシャツを鞭のように振り回して、肩にかけて決め顔をしてみせる。


 初見の時の私の感情は
「この人のこと、私には理解できないかもしれない……」
 でした。

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 いや冗談ではなく、本当に分からなかった。
 中島健人はなぜ『Mission』大サビでTシャツを裂く演出をしようと思いついたのか。その発想の起点が謎だった。
 一番わかりやすいのは「ボロボロになっても」っていう歌詞なんだけど、ボロボロにしているのは中島健人さん本人なんですよ。なってないよ。してるんだよ。
 だって上半身丸裸になるためにTシャツを裂くんですよ。脱ぐんじゃなくて裂くんです。裂けやすい素材だか切れ目が入っているTシャツを各公演分用意して両手でVネックの襟に手をかけて胸襟と腹筋を露わにしてびりびりするんです。
 リハーサル分とか予備分も入れたら裂かれるために存在するTシャツはもっとあるんですよ!?
 混乱しませんか!? 私はしました。ケンティーに着られて裂かれる運命にあるTシャツに思いを馳せたりもしました。
 でもTシャツを裂く意味は全然わからないけど汗だくで踊る中島健人さんはたいそう美しいことだけは理解できた。

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 中島健人さんのこと、すごく好きなんですよ。

 私は2018年末の紅白で初めてSexy Zoneをきちんと認識したんですけど、最初に魅了されたのが彼でした。黒髪で唇が紅くて完璧なタイミングでウィンクを決める。足が長い。どの角度から見てもきれいな顔立ち。
 『セクチャン』とかSTAGEとかで少しずつ独特なストイックさとか、プロ意識の高さとかを知ってもっと好きになった。
 サマパラの『Candy』でおっきいキャンディから顔を覗かせていたずら成功したみたいに笑うくだりは何度も見た。

 好きだから彼のことを理解したかった。彼が何を思って横浜アリーナの真ん中でTシャツを引き裂いたのか知りたかった。
 インタビューとかリぺ魂のドキュメントとか見れば語っているのかもしれないけど、まだ探せてなくて、2017年サマパラのMissionでも裂いていたので「ケンティーの中でこの曲はTシャツを裂く曲なんだなあ」と思ったりもした。

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 分からないながら何回か『Mission』を見ているうちに、ふと
「ケンティー、まじでファンを喜ばせたくてこの演出をしたんだろうな」
 と思った瞬間があった。

 あの演出を最初にしたのがいつかは知らないけど(2017年ソロコンが初出なのか?)、本当に最初にやった時、ちょっとは怖くなってもおかしくないと思う。怖くなかったんですかね?
 恐怖があったにしろなかったにしろ、「この演出でファンは喜んでくれる」という確信が中島健人さんにはあったと思う。その確信は自分のファンへの愛、もしくは信頼と言い換えても良い。

 ファンへの信頼を原動力に挑戦的な演出を実行して横アリを沸かせた、アイドル中島健人の勇気と純粋さを讃えたい。

 ケンティー本人の口から語られる演出の意図を知る前の感情としては以上です。ありがとうございました。

『風 is I ?』と『時をかける少女』の共通点、そして“ふまけん”の永遠性を祈る菊池風磨について


 タイトル通りの記事です。

 私は1月にSexy Zoneにはまって札幌PAGES魂に参戦し、今は過去ブルーレイやらなにやらを少しずつ見ている菊池風磨担の新参者です。
 ハムレットは全部外れてしまったのでかなしみを埋めるために『時をかける少女』視聴したら、良すぎて逆にハムレットが見たくなりました。本末転倒。

 というわけで1月前に『風 is I?』、1週間前に『時をかける少女』を観ました。どちらもびっくりするくらい涙が出た。
 泣きながら「この二つの作品は重ねて作られているのでは?」もっと言うなら「菊池風磨時をかける少女をオマージュして『風 is I?』を創り上げたのでは?」と考えてました。
 おそらく過去に類似の考察をしている方がいるだろうとは思うのですが、このままだとずっと深町翔平と12歳で死んだフーマ(アイドル菊池風磨と区別するためにこの表記にします)がいた夏に思いを馳せてしまうので、気持ちの整理のために文章を書いています。
 ついでに「Sexy Zoneのたった3日間で人生は変わるのか!? 第4弾」とPAGES魂オーラスについて触れます。
 
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 『風 is I?』と『時をかける少女』には多くの共通点があります。例えば

• 「短い夏のひと時」(1か月の恋/1日だけの青春)
• 異邦人(未来から来た深町翔平/12歳で死んで1日だけ蘇ったフーマ)
• 明日が来なければいいと願う吾郎(「今日をずっと繰り返すのはどう? 明日なんか来なきゃいいのに」)と、今日しかないフーマ
• ラスト、主人公(未羽/フーマ)のみが「夏の思い出」を覚えている


 では『風 is I?』と『時をかける少女』の違いは何か。

 未羽は「7/7に戻って翔平を未来に返す」という決断はしたけど、翔平との初恋を無かったことにはできませんでした。1か月撮り続けた写真を通して、自分たちが恋をした時間を残した。翔平はなにも覚えていないけれど、夏と恋を確かに受け取った。
 翔平の手には写真が、未羽には記憶が残りました。
 二人は別々の場所で、夏と恋を抱えたままこれからも生きていきます。

 

 一方のフーマは何も残さなかった。楽しく遊んだ一日を仲間の記憶から消して、仲間たちが共に過ごせる明日を願って消えてしまいました。
 フーマと仲間たちが確かに過ごした夏の一日の思い出は、消えた彼だけが覚えています。
 仲間たちのなかで、フーマは10年前に死んだ昔の友人のままです。

 

 未羽とフーマはどちらも、大切な人を思って何かを諦めました。しかし二人の決断は対照的です。
 翔平を未来に返したい、でも翔平が自分との恋を忘れてしまうのは嫌だというジレンマを、写真を通して恋を伝え解決しようとした未羽。
 仲間たちと遊んでいたかった、でもそれは叶わないから、明日がある彼らの未来のために、自分との1日の記憶を消したフーマ。

 

 時をかける少女の主人公は深町翔平と恋をした芳山未羽ですが、『風 is I?』の主人公はフーマなんですよね。フーマはすべての決断を下して一人で消えてしまう。
 未羽が背負った孤独と諦めを、フーマ(≒深町翔平)が引き受けた物語が『風 is I?』なのではないかと思いました。
 しかも未羽は(おそらく未来に戻った翔平も)強く生きていくけど、フーマは死んでしまうので、より残酷ではかなくて美しい。
 『風 is I ?』は『時をかける少女』をベースに「仲間が生きる明日」と「明日を生きれなかったフーマ」を対比させることで、一つの終わりと続く未来を鮮明に描いた物語、と私は解釈しています。
「一つの終わり」は「菊池風磨のJr.時代の仲間との青春」を指すんじゃないかとは思うんですが、ここでは触れません。

 

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 さて、2016年に『時をかける少女』で深町翔平を演じ、2017年に『風 is I?』を創り上げたアイドル菊池風磨に話題を戻します。

 雑誌のインタビュー等で「最悪の事態を考えずにはいられない」「ネガティブ」と自分を評する菊池風磨さん、相当な現実主義者だと思う。2017ソロコンも「永遠に続くものはない」「絶対に明日は来る」「だから今日を生きる」という思想をとても丁寧に伝えてくれている。
 だから菊池風磨はきっとこれからも「永遠はない、だからこそ今この一瞬が美しい」ことを、様々な形で表現していくんじゃないか。

 

 ……と、私はおそらく思ったんですよ。もし私が2017年に、『風 is I?』を観たならば。
 でも今は2019年。「Sexy Zoneのたった3日間で人生は変わるのか!? 第4弾」で挑んだふまけんの30曲完コピダンスも『PAGES』のオーラスも、記憶に新しい。

Sexy Zoneのたった3日間で人生は変わるのか!?」の30曲目を踊り終えた菊池風磨は言いました。

 

「ずっと遊びたかった中島と、一緒に遊べてたのかな」

 

『PAGES』オーラス、和歌山県のご当地ラップを、中島健人が映った映像をバックに菊池風磨はこの言葉で締めくくりました。(こちらは私が直接見たわけではないので、様々なレポートからの引用になります)

 

「もし今日が終わっても 一生一緒に遊んでくれよ」

 

 菊池風磨は永遠がないことを知っている。絶対に今日が終わると理解しています。だから「もし今日が終わっても」なんて仮定は意味をなさない。

 それでも彼は、彼のシンメに「一生一緒に遊んでくれよ」と歌った。

 

 菊池風磨がふまけんの永遠性を祈っている……

 

 勝手な解釈だしおそらくそれだけがきっかけではないとも思うんですが、中島健人さんとの3日間を通して菊池風磨さんの価値観は少し変わった、もしくは変えられたのではと思いました。
 現実がよく見えるネガティブな人が一生を願うの、すごいことだと思うんですよ。

 

 菊池風磨が変わったのか。中島健人が変えたのか。
 菊池風磨が永遠性を祈った“ふまけん”は今後どうなる?

 

 今の感情は以上です。
 Sexy Zoneの今後の活躍を私も祈って記事を締めます。ありがとうございました。